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| ダンス スタジオ |
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私が、彼らに出会ったのは、1998年のこと。 彼らは高校生でした。 震災後に甲子園から箕面に転居した私は、“箕面でガイアシンフォニー
を観る会”に所属していました。 自主上映会を開催していたガイアシンフォニー(地球交響曲)を 観に来て、アンケートに答えてくれてた10代の子どもたちに 声をかけて、「自分たちでなんか、おもしろいイベントやらない?」 と集まってもらった、あの8月がすべてのはじまりでした。
それから、YOSAKOIに出会い、月日は流れ、 高校生だった彼らも大学の4回生となり、卒業後は 就職という時がやってきました。
「もう、社会人になったら、今までみたいには、祭りとか 参加できないから、今年は、めいっぱい踊る!」
そんなことを言いながらも、ちょっと寂しげだったのに・・・ 忘れもしません。 その春の日、有馬で行われたイベントでは、 多くの颯爽ファンの女の子が集まってくれて、 かぶりつき状態で応援してくれていました。 「キャー!」「○○く〜ん!」 可愛い女の子の声援に応えて、満面の笑みで 必要以上なジャンプ! 必要以上にターンする姿。。。
その姿は、輝いていました。 浮かれポンチなダンスに、大笑いをしながら、 彼の人生でいちばん、輝いている瞬間なんだろうなぁ・・・ と思ったとき、突然、これでいいのかな?という疑問がわいてきました。
もし、私と出会わなかったら、颯爽と出会わなかったら
ダンスと出会わなかったら、きっと、こんなに輝くことはなかったかもしれない。
でも、それをまるで、出玉の尽きたパチンコ台のように、
はい、終了〜!よそに行ってね!バイバイ!!って・・・。 それで、いいのだろうか? 私は、もしかしたら、酷なことをしてるんじゃないだろうか?
ダンスのことは、どんな努力でもできる子たちなのに、 こんな好きなダンスで生きていくことは、できないんだろうか? 夢をあきらめずに、生きていってはいけないんだろうか? 夢をかなえる生き方を探していけないだろうか?
その年の終わりに、就職先をお願いしていた方に謝りに伺いました。
「夢をかなえて、生きていく決意をしました。」
そんな彼の言葉に、
「人は、自分のために使うお金が少ないほうが幸せだという。 君らは、幸せやってことやで!」
と、にっこり笑ってくださった社長さんは、今でも私たちの力強い支援 者です。
2005年の初頭には、インストラクターは、次々と ニューヨークへダンス修行に向かいました。
同年夏 にスタジオ候補の物件を岡本に見つけました。 小さいスペースだけど、どうなるかわからないから、 無理のない金額で、でも、土地のパワーを感じる立地を選びました。
保証金は、颯爽メンバーの有志が、少しずつ出してくれたり、貸してく
れたお金で賄いました。
工事費や回転資金は、母が内緒でしてくれていた私名義の預金を充てる
事ができました。 颯爽JAPANというチームとは、まったく別のお財布です。
が、やはり、はじめは颯爽JAPANのメンバーが、レッスンに
通ってきてくれました。
人が人を呼ぶ・・・かたちで、なんとか、細々と2年目を過ごしています。 颯爽の活動をやりながらのスタジオ経営は、ほんとうに難しい。 商売のイロハもわからない私たちは、お叱りを受けることも多く、 それでも、こんなに癒されるダンススタジオはないから、 と言っていただいています。 でも、颯爽を応援してくれるスタジオ生に甘えてばかりはいられない。
どちらも大切。 颯爽では、どんどん、新しくアシスタントさんが誕生しています。 これからは、彼らに颯爽を任せて、しっかりとスタジオ運営をしていく。
夢をかなえて、生きていけるってことを立証すること。
それが、SEEDS'
DANCE STUDIOのミッションだから。
SEEDS' DANCE STUDIO PRODUCER
YUCA KOJO
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