VOICE
ボクは颯爽を見た時 心がワクワクして楽しかった。
かっこよく踊ってる颯爽の人達がスゴイと思った。
今 みんなと踊れるようになって嬉しい。
それを見てくれる人が笑顔だと 嬉しくなる。
みんなを笑顔にしたいです!!
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颯爽への思い
颯爽なくして今の自分はいない。
決して今の自分に満足しているわけではありません。
でも、今いるこの道は気に入ってます。
自分がなりたい、やりたいと思う気持ちを素直に出せる。
その勇気を与えてくれる場所が『颯爽JAPAN』だと思っています。
僕が颯爽に出会ってから9年になります。
でも、活動歴は9年ではなくそこから3年くらい引いた年数です。。
その3年は出たり入ったりしていました。
自分と向き合う勇気が持てず、逃げ出した。
颯爽でそんな事をしてるのは僕ぐらいだと思います。というか僕だけです。
でも、出たり入ったりしてきても最後には必ず颯爽を選んできた。
それは僕にとって今までもこれからも一番大切だと思える仲間がいるからです。
出たり入ったり、逃げたりする自分にどんな時も手を差し伸べてきてくれた。
僕が戻れる場所を作ってくれていた。心の底で信じてくれていたから。
こんな事は普通にはないと思った。あたりまえの事じゃないと気付いたから。
そんな仲間のいる場所に身を置ける事に感謝しています。
これからはみんなが与えてくれた気持ちに応えていきたい。
僕にとって特別なこの場所を大切にしたいと思う。
何度も寄り道をしてきたけど、また戻ってきたこの道を
仲間と共に真っ直ぐ歩んでいきたい。
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人前でしゃべることも、自分を表現することも、そんなこと一切できない自分だった。
中学1年生の夏からは、人と接することが嫌になって不登校に。
学年が変わり、友だちや先生が何度も何度も迎えに来てくれて、秋の校外学習でエキスポランドに行くという、
おいしいとこ取りを経て、やっと3年生から登校。
それでも休みがちで、何をやるにも、友だちの声かけなしでは、動けなかった。

高校へ行くようになっても、ノリのいい友だち頼りで
自分では何ひとつ決めることができなかった。
カラオケ誘われても、絶対行かなかった。
テレビで映画観てる時に、友だちが誘いに来ても、絶対断った。
…と、書き出すと意味の分からないことばっかり。
要するに何にも考えてなかったね。自分勝手もいいとこだった。
そんな自分を変えてくれたのが、颯爽。
少なくとも颯爽に出会わなければ、今、自分がどうなってたかって思うとゾッとする。。
颯爽へ入ったのは、99年、高校2年生の時。友だちからのフリマ出店の誘いに、軽くのったことがきっかけ。
その後、初めて行った高知のお祭りで、人生が変わったと感じた。
ずっと引込み思案だった自分が、ウソみたいに積極的になった。人と出会うことが楽しいと思えて、
「外国の人と出会いたい」とオーストラリアへ10ヶ月留学を決意。
教会で、学校で、友だちの家で、南中ソーランを踊りまくってどんどん、現地の友だちが増えた。
帰国後、大学生になったある日。
颯爽のオトナ2人が、お互いに颯爽ドリームを語り合っている姿を見て思った。
こんなカッコいいオトナがここにはいるんや。
こんなに、夢とか、未来とかを、わざとらしくもなく、クサくもなく、押しつけるでもなく、
真っ直ぐな気持ちで考えてる人がいるんや。信じてみようと思った。
気がつけば、颯爽が人生になった。踊ることを通して、大切なことをたくさん学べた。
まだまだ、これからも。
今…自分の宝と心から思える、仲間・経験・気づき。颯爽に出会わなければ、得られなかったこと。
颯爽で踊ることで、何度も生まれ変われた自分がいるから、
誰だって変われて、夢を追っかけることができるんだって、伝えたい。
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颯爽に出会うまで、人は信じていなかった。
それは高校生の時受けた、軽いいじめ(仲間はずれやシカト)のトラウマで。仲間もいなかった。
120円のジュースに踊らされて、1度だけの約束で踊った2000年の初踊り。
そこで出会った世代を超えての楽しそうな光景に心引かれて颯爽に入会。
それでもあまり人と心を開いて話もせず、
踊りも自分が中心的な踊りをしていた時期もあった。
何もかもが当たり前に用意されていて、
そこに乗っかることすら当たり前になっていた。
そんな時、それではいけないと気づかせてくれた
大人の人がいました。
自分達が傷つくかもしれないということも恐れず、
真正面から向き合ってくれた人。
自分が何度も揺れ動いた時も、厳しい言葉を敢えてかけて、
その自分で設けた壁を乗り越える力を与えてくれた。この人信じたい。そう思った。
目つきの悪い自分から開放してくれた颯爽。
仲間を与えてくれた颯爽。
いろんなことを経験して、人として大きくさせてくれる颯爽。
人としての生き方を教えてくれた。
そんな颯爽です。
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颯爽に出会うまで、今よりもっと自分中心で生きていたなぁ。
私は高校生のとき、颯爽でNAOKOワールドつくって排他的でした。
踊りはもちろん楽しかったけど、みんなといることが楽しかった。
颯爽にいることがパラダイスだった。
エスカレーターの女子校でドロドロしてたし、
なんかパッとしない中学時代・・・
高校生になり、颯爽に入ってから新しい出会い、経験が
私の生活を変えてくれました。
それまで人見知りの目立たないおとなしい子、
人前に立つとかありえなかった。
その頃を知る人は今の私を見て驚くだろうな。
颯爽はどんどんいろんなチャンスを与えてくれて、
自分の知らなかった自分、世界を見せてくれました。
自分の力だけではできないことがいっぱいある、だから誰かに憧れ、導かれる。
高校卒業して、小さい頃からの夢・・・幼稚園の先生なることも、颯爽があったからまっすぐがんばれた。
それは自信となり新たな夢へ・・・楽しいだけじゃなくて、颯爽が自分に必要かどうか
自分は何がしたいのか、これからどうしていきたいのか・・・
こういうことを考えるきっかけを颯爽は与えてくれた。
きっと誰もが自分に自信100%なんかじゃないんじゃないかな。
でも颯爽はありのままの自分を受け入れてくれる、
自分を好きになる、新しい自分を知る、信じることができるところ。
私もまだまだ。きっと人生かけてなのかな。
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颯爽に出会い自分の人生が動きだした。
自分の足でしっかり歩いていくと言うことを覚えた。
颯爽に入るものの、すぐにブレイクダンスに魅了され、
毎日のようにダンスに明け暮れたけど、
やっぱり颯爽だと思って、普通に戻ってきた。
今度は高校卒業して颯爽を離れて、デザインの専門学校に入り、
グラフィックデザイナーとして働いてた。
また、ある時、戻ってきて今現在に至る。
気が付けば、やってきた全ての経験を活かせる場。
踊りだけじゃなくて、やりたい事にチャレンジできる。
チャンスを与えてくれる場所。
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颯爽に出逢ったのは高校一年生。颯爽に出会う前の自分は、特に夢もなく、自分に自信なんて全くなく、
誇れるものなんて何もなかった。まあ、基本的に何も考えてなかったです。
颯爽に出逢った日も、なんかかっこいい人がいると聞いて、ノリで颯爽の踊りを見に行きました。
そしたら、同じぐらいの歳の子や、大人や子供が、笑顔で、お腹の底から声出して踊ってて、
鳥肌が立ち、涙がでました。そのかっこいい人の事は完全に忘れてました・・・
颯爽が、現在までに私に与えてくれたものは、踊ること、
踊ることで気持ちが伝わるということ、感謝すること、悩むこと、
本当の仲間、その仲間を守ること、夢は叶えられるということ、
一人じゃないということ・・・
本当に、いっぱい、もらいました。やっぱり、もらうばかりじゃなく
それを、全身で返していきたい。と思っています。
でも、ここまでの事に気づくまで、本当に遠回りもしたし、時間がかかりました。
自分は頑張っていないのに、認めてもらいたくて、自分だけを見てほしくて、自分達で自分の首を絞めてた。
颯爽を信じれない自分。みんなが心つかって、どうにかしたいと思ってくれてるのわかってても、
へそ曲がりな態度。ただ群れて、騒いで楽しいだけ。
でも、颯爽を離れる勇気はなかった。やっかいな子でした。。
でも、自分自身の意思で、心で、颯爽を想えるようになったとき、
ほんとに私はなにやってたんだーと、恥ずかしい気持ちと、開放された気持ちと、
大きな気持ちで伝えて、待っててくれた仲間に、感謝の気持ちでいっぱいでした。
颯爽という人生を歩んでいくこれから、まだまだ未熟だし、自信ないし。
でも、颯爽の事、仲間の事、颯爽にいる自分の事は、間違いなく人生の中で誇りです。
心から、出逢ってくれてありがとうっておもいます。
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「熱くなれる、何かをはじめたい。」
看護師になり、1年が経とうとしていた時、
満たされない心が、何かを求めていた。
ふと手にしたタウン誌、
「よさこいソーランをおどろう」と、メンバー募集の記事が、とび込んできた。
よさこい…
何年か前に、偶然通りかかった、本場高知で体験した、あの感動が、甦ってきた。
年齢も性別も、とらわれるものは何もなく、それぞれがいきいきとおどる姿。
大げさかもしれないけれど、生命の輝きが見えた気がした。
あのよさこいを、おどりたい!あんなふうに、輝いて生きられるかも。
大きな期待を胸に、まだ名もない颯爽JAPANへ入会。
でもはじめは、憧れの高知に行ける!楽しく、ストレス発散!
何の責任も持たず、みんなといることが楽しくておどっていた。
リセットが起こり…颯爽が、続けられない?!
颯爽でおどることの意味を考えるチャンスを与えられた時、ミッションという想いを知った。
人のためにできる仕事がしたいと、看護師として働きはじめたけれど。
実際の医療の現場では、時間と業務に追われ、心が使われていなかった。
西洋医学、日本の医療体制では、救えないものが多すぎた。
颯爽でおどり、たくさんの笑顔に出会えるごとに、自分の想いと、現実の仕事とのギャップが埋められなくなり。
颯爽で生きていきたい。その想いが、大きくふくらんでいくばかりだった。
5年間働いた病院を辞め、颯爽中心の生活へ、リスタート。
颯爽でおどることを通じて、
ほんとうの意味で、人とつながり、心がつながる。
心から、元気になれる。
自分の中に、「おどり」なんてあり得なかったけど。
勇気を出して、踏み出した一歩で、人生が変わってしまった。
生きていることに、
「ありがとう」と、「はっぴー」があふれる、
そんな人たちが、いっぱいになればいいな。
そのために、
がんばれるパワーが生み出せるよう、おどっています。
だから、颯爽です。
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